国民的ヒロイン浅田真央の栄光と暗い影

 

世界的な人気フィギュアスケーターであり、日本国民のアイドルでもある浅田真央選手は、2008年、2010年、そして2014年の世界選手権で優勝!グランプリファイナルでは4回の優勝!そして、2010年のバンクーバー・オリンピックでは銀メダルを獲得しました!

ちなみに、このバンクーバー・オリンピックでは韓国のライバルスケーター・キムヨナ選手に敗れはしたものの、女子シングル史上初の「3度の3回転アクセル」を見事成功させたのです!

 

父親が女優の大地真央さんの大ファンだったことから真央と名付けられた真央ちゃんは、5歳でスケートを始め、憧れのスケート選手は伊藤みどりさん。練習中にはよくDREAMS COME TRUEの「何度でも」を聴き、トイ・プードルやスイーツを愛する普通の女の子でもあります。

ただ一つ、みんなと違っていたのはスケートへの情熱 (才能 & 努力) です。
 

 

 

 

浅田真央、天才少女として

5歳のとき、姉の舞と一緒にスケートリンクに遊びに行き、スケートと出会ってしまった真央ちゃんは、安藤美姫も所属していた名東フィギュアスケートクラブに入会します。

その後小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転 – 3回転 – 3回転のコンビネーションジャンプを飛び、「天才少女」と呼ばれるようになりました。

 

 
 
 

☆★プロフィール☆★
  • 誕生日:1990年9月25日
  • 身長:163cm
  • 体重:50kg

 

 

その後は各種ジュニアの大会で優勝を重ね、2005 – 2006年のシーズンにはGPファイナルで世界女王イリーナ・スルツカヤを破り、実績からトリノ・オリンピック (金メダルは荒川静香選手でした) 出場を期待する声もありましたが、ISUの定め「五輪前年の6月30日までに15歳」とする年齢制限にわずか87日足りず、代表資格は得られず。

その後も活躍し続ける真央ちゃんでしたが、金妍兒 (キム・ヨナ) という最強ライバルの存在があり、「キムヨナの方が実力が上」とする報道で、一時期は練習意欲を失ってしまいます。メンタルコントロールの難しさも課題となりました 。

 

ちなみに、浅田真央 vs キムヨナの戦績は全15戦で浅田の6勝、キムの9勝です。

2010年、バンクーバー・オリンピックでは自己ベストを更新!見事銀メダルを獲得!その後の世界選手権では、オリンピック金メダリストのキムヨナを破って金メダルを獲得したのです!
 

 

 

 

浅田真央、スランプとの闘いから引退までの軌跡

2011年に東日本大震災が発生した後は、「こんな時に大会に出場してもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなり、体重が5kgほど激減。同年12月には以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化し、肝硬変のため死去 (享年48)。真央ちゃんは遠征先のカナダから緊急帰国したものの間に合いませんでした。
 


 

深い悲しみの中、葬儀の翌日から練習を再開し、短期間の調整で挑んだ全日本選手権では2年ぶり5度目の優勝!

 

ただ、後半期の真央ちゃんは、年齢とともに体の成長・変化もあってか、怪我などの不調もあってか、本番でジャンプを失敗する機会が増えてきます。ライバルのキムヨナが強すぎることで過大なプレッシャーもあったことでしょう。

「(2014年の) ソチ冬季オリンピックのシーズンを限りに引退する」意向を表明した真央ちゃん。本番のSP (ショートプログラム) ではトリプルアクセルを失敗し、転倒が相次ぎ成績が奮いません。演技後のインタビューでは「何もわからない」と放心状態…

 

それでも、翌日のFSではトリプルアクセルを成功させ自己ベストを更新。演技を終えると感無量の表情で涙を浮かべ、観客に笑顔で応え静かにリンクを去っていきます。結局、SPの悪点が響いたため、最終順位は6位入賞で終わります。

オリンピックを終え、進退についてはなかなか決められず、2014 – 2015のシーズンは全試合見送り、1年間の休養に入ります。

 

 

その後は現役続行の可能性について「ハーフハーフ」という名言を残しつつ、ファンを心配させたのですが、2015年5月、現役続行の意思を明らかにしたのです。

2015 – 2016、2016 – 2017のシーズンは、各大会で優勝したり3位になったり9位に低迷したりとアップダウンの激しい中、2017年4月10日、ついに競技選手としての現役引退を表明したのです。
 

 

 

 

浅田真央、引退表明

2016年12月に行われた全日本選手権で12位だった浅田真央。この大会が引退の決め手になってしまったのでしょう。近年は、冴えないパフォーマンスに苦しみ続け、気力が低下していたようです。

ボロボロでもうジャンプを跳べる身体じゃない。。。

 

一般的には、20代半ばともなればスケーターはプロへと転向していきます。浅田は26歳。そろそろ競技人生を終える年齢でもあったのです。膝と腰は限界を迎えていました。ジャンプをするたびに激痛が走り、、、何とか身体にムチを打って演技を続けてきたのです。

 

 

Japanese Nationals FS  (2016)

 

 


 
目標を見失い、モチベーションは低下。悩みに悩んだ末での結論がこのタイミングでの「引退」だったのです。ただ、本人はやり遂げた感があり、心残りや悔いの類は一切ないようです😀

 

「引退」は自分にとって大きな決断ですが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

by   浅田真央
 

 

 

 

ボロボロの身体にムチを打ってでも現役を続けなければならなかった真央ちゃん

試合の賞金、アイスショーの報酬、広告出演料、日本スケート連盟の補助金、スポンサーの賞金などを合わせると、真央ちゃんの年収は6~7億円くらいとも言われていますが、その大部分は日本スケート連盟やマネジメント事務所などから搾取されていた、とする噂もあります。

テレビ局の独占放映権などもあり、こうした真央ちゃん人気を利用してきた組織の力によって、真央ちゃんは無理をしてでも現役を続行し続けなければならなかったのかもしれません。
 

 

ただ、元フィギュアスケーターの渡部絵美さんが話している通り、

「若い選手の活躍を見て時代が変わったという感覚があったのでは」「引退は後輩にチャンスをあげたいという優しさだったのでは」という流れで晴れやかに引退できたのであれば何もいうことはありません😃
 

 

 

 

おわりに

これからは、「天真爛漫」真央ちゃんのプロスケーター?としての活躍に期待していきましょう!ただこれからは、現役選手を離れ、選手として守られてきたカバーのようなものがなくなります。

父親は元ホストで素行が悪いという話もあります。お姉さんもなかなかの個性派です。家族に足を引っ張られたり、柔道の柔ちゃん (谷亮子) のように、引退後にダークなイメージに変わっていかないことを心から願うばかりです。

 

いつまでも、「真央ちゃん」のままでいてほしいものですね!

 
 

しかし、、、

 

それにしても織田信成の号泣っぷりは不思議な絵でしたね。「浅田真央引退」についていろいろと聞かれている30分間、彼はほぼ泣き続けていました。

 

織田くんは女性的でもあり中性的な存在で、とっても癒されますね😀

 

鳴かぬなら 泣きに泣きますホトトギス