安藤美姫、引退後の充実「第二の人生」

 

「競争」の世界から解き放たれ、現役を引退した一流のアスリートたちは、その後の人生をビジネスやタレント活動など、別の道に求めたりします。もちろん、コーチとして活躍する人もいるでしょう。

フィギュアスケートの世界チャンピオンに2度輝いたことのある安藤美姫さんは、現役引退後、多岐に活躍しています。毎日忙しく、あちらこちらと飛び回っているのです。

 

 

 

☆☆ 安藤美姫のプロフィール ☆☆

◯ 出身:名古屋

◯ 生年月日:1987年12月18日

◯ 身長:162cm

◯ スケートを始めた年:1995年

◯ 引退:2013年

 

 

彼女は2007年と2011年に世界チャンピオンに輝きました☆☆ 実は、彼女にしかできない技もあるほどずば抜けて優れたスケーターだったのです。

現在は、シングルマザーとして子育てをしながら、若手育成のために忙しく世界中を飛び回っています。

 

 

 

安藤美姫、第二の人生

彼女の第二の人生は、特別なプランもなく始まっていきました。フィギュアスケートの選手として有名だった彼女にとって、自ら決定しなくても、周囲がテレビ番組にオファーしてきたり、コーチを依頼してきたりするわけです。

 

人気者なんです♡

 

そんなわけで、テレビ番組にも出たりするわけですが、彼女はテレビタレントとして、ただそれだけで活動していくつもりはありません。”フィギュアスケーター” としてのアイデンティティがあります。これからの仕事のベースには、やはりフィギュアスケートがあるのです。

 

 

 

長い人生、まだまだ続くんです♡

「多くの人たちが仕事のために私に連絡を取ってきます。フェースブックやインスタグラム、ツイッターなどを使ってね。」

 

ところで、彼女は2013年に女の子を出産しました。未婚のまま (父親を公表することなく) シングルマザーとして一人で育てているのです。愛娘の名は「ひまわり」。

当時、多くの人たちはこの妊娠 & 出産にかなり否定的でした。なぜなら、まだ現役でバリバリ活躍できるアスリートでしたし、何より、結婚もしていない、父親が誰かわからない状態だったからです。

 

 

実際、彼女自身、妊娠には驚きでした。実は、妊娠5ヶ月までは気づかなかったそうです。具合が悪いということは一切なく、健康そのものだったのです。結局、血液検査で妊娠がわかったのですが、アスリートではあったけれど “喜び” が大きかったようです。

ただ…一流のスポーツ選手としては妊娠中に無理をすることはできません。それでも、「スケートをやめた後の人生も長い」ことを考えると、素直に子供ができたことは嬉しかったのです。

 

 

 

“ひまわり” の名前の由来は?

「将来、普通の生活を送ることは私にとってすごく大切なことだったんです。そういった意味でも、子供ができたことは運命だったんだと思います。」

 

「ひまわりはいつも太陽を向いています。花のイメージは、例えばバラであればゴージャスで強い。桜であればとても可愛い。でも、ひまわりは私にとって特別で、ひまわりを見ると元気が出て強い気持ちになれ、前向きになれるんです。」

 

「もし私の赤ちゃんがひまわりだったら、ひまわりのようにたくさんの愛を周囲に注いでほしい。彼女に会った人たちが皆元気になれるように。」

 

安藤さんはテレビやイベントの仕事のときは母親に “ひまわり” を預けます。ただ、スケートのショーのときは連れて行きます。きっと “ひまわり” ちゃんはわかってくれているんです。これがママの仕事だってことを。。。😉

 

 

 

コーチであることが子供の頃からの夢だったんです

「コーチとして生きることが、私が9歳でスケートを始めた時からの大きな夢だったんです。実際、私はスケート選手として活躍してきましたが、それはコーチになりたかったからなんです。」

 

「良いスケート選手になったら、世界を見て、多くのことを学ぶことができる。アメリカに行ったり、ロシアのコーチに学んだり、たくさんのことを学ぶことができるんです。それは全て、将来の糧、私の夢を叶えるためにあったんです。」

 

 

「ただ、いま現在はまだ「私はコーチです」とは言えません。忙しく世界中を飛び回っていますし、コーチではなく、アドバイザーとしてただ手伝っているだけなんです。」

 

「私はあちこちでチャリティショーに参加したり、どこかのコーチに頼まれて若手選手の練習をちょっとみてあげたりすることはあります。ただ、それはコーチではなくアドバイザーとしてなんです。今はまだ…」

 

 

 

いつも笑っていよう!

安藤さんは、自分自身を見つめ直す意味で「若手選手たちから多くのことを学ぶことがある」といいます。「私はかつて世界チャンピオンになりました。今は (現役ではなく) 別の道を歩いています。私は今、プロスケーターとして、人として、そしてコーチになるために、多くのことを学んでいる途中なんです。

 

「日本の子供たちってとってもシャイで物静かですよね。私はまず最初に、彼らの個性を見るようにしているんです。」

 

時にセンチメンタルな気分になることもあります。それは、亡くなったお父さんを思い出して…当時、安藤さんのコーチだった先生は、リンクの上で彼女を慰め助けてくれました。あの時の頃を思い出すと…スケートが大好きで始めたばっかりだったあの頃を思い出すと…

 

2010 Winter Olympics , Vancouver

Music – Requiem by Wolfgang Amadeus

 

 

「父が亡くなった時、コーチの微笑みはいつも輝いていました。私は毎日彼女の笑顔が見たかった。よく話し、よく学びました。私は彼女のようになりたいのです。いつも笑顔で、一緒に何か良い気分にさせてくれるような存在のコーチに。」

 

「実際、彼女は私に夢を与えてくれました。それはコーチになるということ。私は一度だってチャンピオンになりたいと願ったことはないんです。願いはたった一つ、コーチになることだったんです。」