坂本九 〜 日航機墜落事故に散った伝説のシンガー「九」に纏わる奇跡

 

坂本九さんは日本の人気歌手であり俳優でした。国際的なヒットソング「上を向いて歩こう」(英語名 “Sukiyaki” )のために、世界中でも有名になっていました。

(1963年6月にはアメリカ・ビルボードHot 100でナンバーワンを獲得)

 

しかし…

1985年8月12日、搭乗していた日本航空123便が墜落し、亡くなってしまったのです。当初は全日空機に乗る予定だった坂本さん。満席であったため、日航機に変更したところ事故に遭遇してしまったのです。

 

妻や娘は坂本さんが全日空機に乗っていると思っていたので、事故のニュースを聞いた際も名前が報じられるまでは信じられなかったそうです。

 

 

 

 

 

☆ 1941~1949

坂本九さんは1941年、神奈川県川崎市で生まれ育ちました。
9番目の子供として生まれたため「九」と命名されたという説があります。

戦争中の1943年10月に発生した列車衝突事故で多数の犠牲者を出した車両に、疎開のため乗り合わせていた坂本さんと母親。しかし、事故の直前、運よく他の車両に移っていたため事故死を免れました。

 

この一件以来、一家は「笠間稲荷神社の神様が自分たちを救ってくれた」と終生信仰していたそうです。坂本さんは、結婚式をこの神社で挙げ、そして、日航機事故で命を落とした時にも、笠間稲荷のペンダントが遺体の身元を特定する決め手となったのです。

 

戦時中は疎開先の笠間で祖父母と一緒に暮らしていた坂本さんたちですが、1949年、川崎へ戻ってきます。父の会社はアメリカの駐留軍によって閉鎖させられていたので、父は新たにレストランを開いたそうです。

 

 

 

 

☆ 1956~1960

1956年、両親は離婚。その後坂本さんは高校に上がると、不良たちの音楽とされていたロックン・ロール (ロカビリー) に熱を上げ、ジャズクラブなどで歌い始めました。

ザ・ドリフターズダニー飯田とパラダイス・キングのメンバーとして活動するもいまいちパッとせず…

 

ただ、1960年に発売された「悲しき60才」はヒット!坂本さんにとって初めてのヒット曲です。

(この曲は、日航機墜落事故の慰霊式における鎮魂曲となります)

 

♪ 明日があるさ♪     (1963年発売)

(お笑い芸人たちのカバー・バージョン)

 

 

 

 

「上を向いて歩こう」で世界的スターに

「悲しき60才」に続き、1961年には作詞:永六輔、作曲:中村八大によって作られた不朽の名曲「上を向いて歩こう」が大ヒットします!

その後、1963年には「SUKIYAKI」というタイトルで海外でも大ヒット!この曲はのちに英語の歌詞がつきましたが、1位を獲得したのは坂本さんが歌う日本語版なのです。

 

1964年、アメリカ国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため、坂本さんは日本人初の「ゴールドディスク」を受賞!

 

 

 

 

私たち日本人にとっては、坂本九さんが歌う「上を向いて歩こう」が一番心に染みるわけですが、ありがたいことに多くの海外アーティストの皆さんにもカバーしてもらっています。

 

 

♪ SUKIYAKI♪    by  4.P.M

 

 

♪ SUKIYAKI♪    by  Sissel Kyrkjebø

 

 


 

 

坂本九さんが戦時中、茨城県笠間市に疎開していたことにちなみ、JR友部駅や岩間駅、笠間駅では、発車メロディーに坂本さんの代表曲が使われています。

 

 

 

 

ミステリー

坂本さんの遺体が発見された時間が墜落から99時間後、棺番号が333、司会を務めていた「クイズクロス5」は99回放送、北海道で放送されていた福祉番組「サンデー九」は9年間務めあげ、偶然にも9という数字が重なっていました。

また、永六輔さんが滞在していた北海道から坂本さんの法事に向かおうとしたところ、偶然隣りに座った女性の夫が医師で、坂本さんの検死をしたと打ち明けられ、法事に出席するまでずっと鳥肌が止まらなかったそうです。

 

事故翌日の8月13日には、坂本さんが出演する『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が放送されました。この時点では安否不明の状態だったため、敢えて放送され、番組の最後で「坂本九さんの無事をお祈りします」というメッセージが流されたのです。

結局、墜落から99時間後の8月16日、家族によって遺体が確認されました。

 

あれから30年以上が経ちました。犠牲となった方々の魂の鎮魂を祈るとともに、坂本さんの歌声が未来永劫いつまでも残されていくことを心から願いたいと思います。