「隠れキリシタン」にみる日本人独特の宗教意識とは


 

日本人の宗教意識の中では現世利益ということが非常に重要な要素を占めており、現在でも「病気が治る」とか「お金が儲かる」とか「幸福が得られる」ということを神様、仏様がしてくださることを願う意味での宗教心というのが日本人の中には非常に強くあります。

本当の宗教は、そういう現世利益ということを抜きにして、現世に利益がないというところから始まるものなのですが、日本人の場合はあくまでも現世利益ということが主体になっています。

 

仏教において、薬師如来のように「病気を治してくれる」仏様が崇められるのもその一つの形態でありますし、現代の新興宗教の中で「ガンが治った」というようなことを魅力として信徒を引きつけているのも現世利益です。

そんなゲンキンにも思える日本人の宗教観ですが、以下では少し歴史を振り返ってみて、「隠れキリシタン」にみる日本人の宗教意識というものを探ってみたいと思います。

 

 

 

日本における第1期のキリスト教

日本における初期の頃のキリスト教は、病気を治してくれるとか、あるいは、それ (キリスト教) を歓迎する大名たちに南蛮貿易の利益をもたらしたり、

あるいは、武器弾薬を供給してくれることに伴って入ってきた宗教で、これを保護し、信ずれば、自分たちも利益を得られる…という観点が当時の (キリスト教を歓迎した) 諸大名の中にかなり強くあったことは否めません。

 

 

そして、この頃のキリスト教は、大名が信じれば家臣たちも信じ、その家臣たちは自分の領地における百姓たちにも信仰を許すという、上から下への封建的な仕組みの中で広がってゆく形をとっていました。

つまりは、キリスト教を信じるというよりも、キリスト教が当時持っていた現世利益が広がったということなのです。

 

 

 

日本における第2期のキリスト教

第二期に入りますと、2代目、つまり第1期キリシタンの子供たちが信仰するようになり、前よりもキリスト教に対しての信仰が強くなってきます。

しかしながら、この頃の信仰にはやはり日本の「大きな村の構造」というものが作用しており、村単位、集落単位で信じたり離れたりする傾向がありました。

 

つまり、村の人たちがキリスト教を信じるのは、特にそのリーダー (村長) が信じるならば村人もこれを信じ、リーダーがこれから離れたら、村人たちも信仰をやめるといった傾向が見られます。

そして、信仰に関するもうひとつ大事な要素としては「祖先意識」「「先祖崇拝」の感情があります。フランシスコ・ザビエルが日本に来た際、一番苦労したことは、日本人が「もし自分がキリスト教を信じれば、祖先と同じ世界に死んだ後行けなくなる」と不安がっていたことだと言われています。

 

 

つまり、結局のところ、江戸時代に入り、2代将軍徳川秀忠の頃からキリスト教に対する弾圧・迫害が始まり、個人として信念を貫き、信仰し続けた人は少なかったのです。

村長が信仰をやめ、それに伴い村人たちも一斉に信仰をやめ、たちまちガタガタっとキリスト教の信仰が崩れてしまったのです。

 

 

 

 

日本における第3期のキリスト教

第3期は迫害の絶頂期です。宣教師たちは日本から姿を消し、教会はなくなり、日本人のごく一部の中で、西洋精神で鍛えられたキリスト教がほぞぼそと受け継がれていったのです。そういった事情もあり、私はこの時期に大変興味を持っています。

なぜなら、教会もなく、宣教師もなく、キリスト教というものが日本人の宗教意識の中で自由に変形されていった時代なのですから。

 

一般的には、「隠れキリシタン」として、長い間徳川幕府のキリスト教禁止令の中でキリスト教を信じてきたかのごとく伝えられていますが、実はそうではありません。彼らが信じていたのはキリスト教ではなく、日本的に変形された、彼らがキリスト教だと思っている、土着した別の宗教なのです。

そこにはいろんなものが混じっています。仏教、神道といったものがまるでごった煮のように混然として加えられていたのです。

 

 

そう考えると、「隠れキリシタンたちは本当のところ一体何を信仰していたのだろうか?」という疑問が浮かび上がってきます。

彼らは、キリスト教信者が普通に拝んでいる神様というものと同じものを、本当に拝んでいたのでしょうか?不思議でなりません。

 

 

 

学者の調査ではっきりとわかったことは…

隠れキリシタンたちが役人の目を盗んで一生懸命拝んでいたもの、、、一番信仰の対象にしていたもの、、、それは、実はGodでもキリストでもなく、聖母マリアだったのです。それも、宗教画で見るような聖母マリアではなく、むしろ野良着を着た日本のおっかさん…という感じです。

通常、キリスト教というのはGodとかキリストを信仰の対象にする宗教で、聖母マリアは第一の信仰対象ではありません。その (二番手以降の存在であるはずの) マリアが、いつのまにか隠れキリシタンの信仰心の対象になった…ということは、要するに、キリスト教というものが日本では変形して信仰されていたということです。

 

 

 

 

 

これは他の宗教でも言えること

他の宗教、例えば仏教も、日本に入ってきてから日本独自のスタイルに変わっていきました。もともと仏教は、中国や朝鮮を経て日本に入ってきた宗教です。

それが、日本人の歯で噛み砕かれ、平安時代から室町時代になっていくに従って、だんだんと「母」の宗教になっていったのです。阿弥陀様を拝む日本人の気持ち、それは子供が母親に求める気持ちの投影でもあるのです。

 

阿弥陀さまには非常に色濃く母親のイメージが落ちています。浄土真宗の中の「善人も救われ、いわんや悪人をや」という言葉も、解釈の仕方によっては悪い子ほど可愛いという、日本人の母親心理を端的に表しているのであって、これはある意味「母」の宗教といえますし、仏教もまた、日本化すれば母親の宗教になる…と言えるでしょう。

 

 

 

 

日本独自の宗教のあり方

ヨーロッパにおいて父親の宗教として育ったキリスト教が、遠く日本にやってきて、そして、宣教師も教会もなくなり、日本人だけの手に委ねられ、密かに伝えられるようになると、その骨子となる部分がいつのまにか取れてなくなり、日本人的な母親の宗教にすり替わっていったのです。

もちろん、母親の宗教というのはキリスト教の中にもあります。特に「新約聖書の中にはそういう傾向がうかがわれますし、母親の意識というものは日本人独特のものではありません。東南アジアなどでもうかがわれます。

 

しかしながら、日本の中では、この母親の意識がことさらに強い傾向にあるのです。

 

 

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