2017年9月、「平成の歌姫」として日本のミュージックシーンを牽引したのみならず、ファッション・リーダーとしてエンタメ業界を盛り上げ続けてきた歌手の安室奈美恵さんが突然の引退宣言をしました。
彼女は単なるトップアイドルではありません。ひたむきにダンス道を極め続ける傍ら、「コギャルたちの教祖」としてアムラー現象を巻き起こしたこともありました。結婚式の定番ソングを歌う歌手として有名にもなりました。さらに、母親を惨殺され悲劇の歌姫としてマスコミを賑わせたこともあります。
そんな彼女は2017年12月31日、紅白歌合戦のステージに立ち、凛とした姿で多くの人たちに感動を与えてくれました。その勇姿は、往年の美空ひばりさんや山口百恵さんのようにスターのオーラを放っていました。まさに、国民的アーティストであったと言えるでしょう。
安室奈美恵の簡単プロフィール
J-pop シンガーとして海外でもその名を知られている安室奈美恵さん。1990年代には当時10代の女の子たちから絶大な指示を集め日本国内を席巻してきた安室さん。四半世紀もの長きに渡りトップを走り続けてきた安室さんは2018年9月に引退です。
私生活ではTRFのダンサーSAMさんと1997年にできちゃった結婚し男の子を1人出産しましたが、のちに離婚。
🔴 誕生日:1977年9月20日
🔵 出身地: 沖縄県那覇市
🔴 血液型:O型
🔵 身長:158cm
のちに数々のヒット曲を提供してくれることになる音楽プロデューサーの小室哲哉さんは、彼女の第一印象についてこう語っています。
「たまたま、『The 夜もヒッパレ』でTRFの楽曲を歌っていた姿を観て、あ〜、TRFの曲は楽勝で歌って踊れるんだ」
ソロシンガーとして
沖縄で生まれ育った安室奈美恵さんは、4歳の時に両親が離婚し、父親の姓を継ぐものの母親の手で育てられます。3人兄妹の末っ子です。そんな彼女は小学校5年生の時、友達の付き添いでタレント養成所「アクターズスクール」に見学に行った際、学校長にスカウトされるも、学費が払えないという理由で一度は断念。
それでも、校長に見込まれ、異例の特待生として入校。小学生時代は片道約1時間半の距離を徒歩で週3日通う生活を送っていたそうです。当初は人見知りが激しく引っ込み思案な彼女でしたが、その後ジャネット・ジャクソンのミュージック・ビデオに衝撃を受け、以来歌とダンスに没頭するようになっていきます。
そして1991年、中学2年生の時に女子5名男子2名によるダンスパフォーマンスグループ “SUPER MONKEY’S “の結成メンバーに選出されることとなるのです。翌年には女子5人のグループとなり、全国区での芸能活動を開始 (母親は大反対でしたが)。
TV出演やCMソングに起用されるなど、ほどほどに成功したかに思えたSUPER MONKEY’Sでしたが、伸び悩みが感じられたため、1994年にグループ名を “安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S ” に改名。
翌1995年に発表された ” Try Me “ は大ヒットとなります。これを機に、安室奈美恵はソロとして、他のメンバーはMAXとして、別の活動をしていくこととなるのです。
ソロシンガーとして、“太陽のSEASON” や “Body Feels Exit” も大ヒット。この “Body Feels Exit” から、小室哲哉プロデュースのもと、歌手として大成功を手にしていくことになるのです。 “Chase the Chance” はミリオンセラーを記録!
ファッションリーダーとして
安室ちゃんの引退は、音楽業界のみならず、ファッション業界にも大きな衝撃を与えました。
1995〜1997年頃に茶髪のロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツで「アムラー」と呼ばれる信者たちを大量生産した彼女ですが、その後もファッション業界に少なからぬ影響を与え続けてきました。
日本社会にはあまり馴染みのないタトゥーを、不良のイメージしかなかったタトゥーを、一般的なものに変えていったのも彼女です。
まさかの悲劇 (1998〜2002)
1998年に一人息子を出産した安室ちゃんに、翌年悲劇が襲いかかります。1999年3月、最愛の母親が義弟 (母親の再婚相手の弟) に車でひかれた後ナタで殴られ死亡。殺害を犯した叔父 (安室ちゃんとの血縁関係はない) は事件から4時間後に山中で死亡しているところを発見されます (農薬による服毒自殺)。
この事件の反響があまりにも大きく、自身もショックだったため、一時は本気で引退を考えたそうです。しかしながら、「ファンのみなさんの温かい言葉に励まされ、やっと立ち直ることができました。」とコメント。無事、復帰することができたのです。
その後、(幸か不幸かは別として) 結婚生活5年間を経て2002年にSAMさんと離婚。原因は憶測であれこれ囁かれていますが、「厳格な家庭で育ったSAMさんとの家庭環境の違い」「SAMさんは安室ちゃんに引退して家庭に入ってもらいたかった」「安室ちゃんの唯一の味方だった義父が亡くなってしまったから」「実母の死で良好な対人関係を築いていくことが困難になった」などなど。
いずれにせよ、安室ちゃんはSAMさんと離婚したのち、左手に以下のような内容のタトゥーを刻んでいます。
JUN.30 in 1950
my mother’s love live with me
Eternally in my heart
R.I.P
MAR.17 in 1999
(母の生年月日)
母の愛は私と共に生きている
私の心の中で永遠に
安らかに眠れ
(母の命日)
当時、長男温人 (はると) くんの親権はSAMさんが、養育権は安室ちゃんが持つことになったと報じられています。
引退の背景にあるもの
引退に関して、安室ちゃんの気持ちを事前に知らされていたのはごく一部の信頼されているスタッフだけ。ほとんどの関係者は発表当日に知らされ、関係各所は大混乱。安室ちゃん本人があまり多くを語らないため、引退理由が判然としていませんが、問題の根本には “ライジングプロからの独立騒動” があるようです。
独立したとはいえ、現在もライジングプロの影響下にあり、これに嫌気が差した安室ちゃんは引退することで芸能界のしがらみをリセットするつもりのようです。
かつては親子のように仲の良かったライジングプロの社長との仲が一気に悪化。大揉めした末に2015年に独立。この騒動の真っ最中には、ライジング側の関係者が安室ちゃんのネガティブな情報をマスコミに流したこともありました。これで両者の関係は修復不可能な状態となり、それは今も変わらず。
結局のところ、汚すぎる芸能界のしがらみに囚われてしまった末、精神的に追い込まれ、最終的には引退という道を選ばざるを得なかったということなのでしょう。
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A walk in the Park (1996)
Hero (2016)
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父親同然だった社長が去り、育ててくれたavexが去り、優秀なスタッフたちが周囲からいなくなってしまったことで『アーティスト安室奈美恵』という存在を維持することが困難になったという話もあります。
真意のほどはさておき、一つの時代が終わってしまうことに変わりはありません。