中村中「友達の詩」の歌詞に込められた性同一性障害カミングアウトの思い

 

中村中は1985年生まれの (戸籍上は男性である) 女性シンガーです。そんな中村中が、2007年のNHK紅白歌合戦で披露した代表曲『友達の詩』の歌詞には「自分自身のアイデンティティを確かめたい」という思いが込められていました。

中村中のアイデンティティとは、メジャーデビュー後の2006年に公式サイトでカミングアウトした「性同一性障害」

 

中村中が『友達の詩』を書いた15歳の頃には、まだ「性同一性障害」という言葉は確立されておらず、「私は人と違う気がする。なぜなんだろう?」とか「愛することはいけないことなのだろうか?」といった葛藤に苛まれる毎日でした。

違和感を覚えながらも男子として生きていた中村中。自分自身のアイデンティティを誰にも打ち明けられず、好きになった男の子に告白することもできない苛立ちと寂しさで押しつぶされそうだったそうです。

 

そんな中学生活の卒業を前にして、叶わぬ恋の切なさを絞り出すように綴ったのが『友達の詩』だったのです。

 

 

 
 

『友達の詩』の歌詞

 

 

触れるまでもなく先の事が見えてしまうなんて

そんなつまらない恋を随分続けて来たね

胸の痛み 直さないで別の傷で隠すけど

簡単にばれてしまうどこからか流れてしまう

 

手を繋ぐくらいでいい並んで歩くくらいでいい

それすら危ういから大切な人は友達くらいでいい

寄り掛からなけりゃ側に居れたの?

気にしていなければ離れたけれど今更

 

無理だと気付く

笑われて馬鹿にされて

それでも憎めないなんて

自分だけ責めるなんて

いつまでも 情けないね

 

手を繋ぐくらいでいい並んで歩くくらいでいい

それすら危ういから大切な人が見えていれば上出来

忘れた頃に もう一度会えたら仲良くしてね

 

手を繋ぐくらいでいい並んで歩くくらいでいい

それすら危ういから大切な人が見えていれば上出来

 

手を繋ぐくらいでいい並んで歩くくらいでいい

それすら危ういから大切な人は友達くらいでいい

 

友達くらいが丁度 いい

 

 

 

 

「何で自分が?」性の違和感は幼稚園から!


 
彼女は幼稚園の頃、「自分は女の子に生まれるべきだったのでは」と疑問を感じていたそうです。小学校時代、バレンタインのチョコレートを女子から貰った時には「何で私が女の子から?」と違和感を覚え、10代の頃は、好きな音楽に熱中することで自分の性へ目を向けないようにしていたそうです。

そんな彼女に変声期が訪れます。この時、大好きだった歌に苦痛を感じ、ピアノやドラムなどの楽器に没頭するようになっていきます。

 

しかし、デビュー前には、声や性も含めて「これが自分なんだ」と確信が持てるようになり、「同じ悩みを抱える人たちのためにも性同一性障害を認知してもらいたい」という思いから、2006年の『友達の詩』のヒットと前後するようにカミングアウトしたのです!

 

 

 

 

実は、初めてのカミングアウトは小学生の時


 
小学5年の時、彼女は同級生に「女性として生きたい」とは言えませんでしたが、「恋愛対象が男性である」ことは打ち明けました。

最初は笑われました。でもそれは、馬鹿にしていたわけではなく、あまりにも真剣に打ち明けたため、思わず笑ってしまった…といった感じです。

 

仮にそれが馬鹿にされていたことだったとしても、悩みを口に出せたことは当時の彼女にとって大きな一歩だったのです。「女性として生きたい!」と母親に相談出来たのは20歳になってからですが、あの日、同級生にカミングアウト出来たことで気持ちが楽になったことは確かです。

ただ、カミングアウトをすれば悩みが全て解決するわけではありません。

 

 

それでも、カミングアウトは心に安楽をもたらしてくれます。

(あなたに) 誰かの悩みを受け入れる余裕の気持ちさえあれば、あなた自身が誰かに悩みを打ち明ける際にも気兼ねする必要はないのです。

 

 

 

 

海外の性同一性障害シンガー、シャリース

 

カーマイン・クラリス・レルシオ・ペンペンコ(1992年生まれ)はシャリース(Charice)の芸名で知られるフィリピンの女性歌手です。

YouTubeで人気を博し、「世界一才能のある少女」と称されていました。デビュー・アルバム『シャリース』はBillboard 200アルバムチャートで初登場8位を記録し、アジア人アーティストとして初の同チャートトップ10入りを果たしたのです。

 

両親の離婚後、母親の手で育てられたペンペンコは7歳の時から数々のアマチュアコンテストに参加することで家計を助けていました。

そんなペンペンコが世界的な認知を得るようになったのは、彼女の熱心なファンがYouTubeに彼女の歌唱映像を投稿し出した2007年頃からです。

 

その後歌手として大成功を収めた彼女は、ワールドツアーを行ったり、同じYouTube出身者のジャスティン・ビーバーと共演したり、アメリカの人気テレビドラマ「Glee」に出演したりと大活躍!

ただ、人生は良いことばかりではありません。2011年には父親がアイスピックで滅多刺しにされ死亡するという凄惨な事件が発生し、彼女は精神的なストレスのため激太りしたのです。

 

その後、2013年には母国フィリピンのテレビ番組で、自身がレズビアンであることをカミングアウトしました。

「今、私は自由を感じています。恐れや不安を感じずに家から出かけることができる感じです。」と語り、涙ぐみながら、このカミングアウトを受け入れられない人たちに申し訳ないと語り、「私のことを受け入れてくれる人に、心から感謝したい。私たちはみな公平なんです。ゲイであろうとストレートであろうと」と語っています。

 

「ゲイを告白した人たちは、自分がゲイであることを幼い頃から知っていたといいますが、あなたはどうだったの?」と聞かれると、

「私は5歳の時からわかってました。幼稚園で女の子を見ると違った感情を抱きました。それがなにかよくわかりませんでしたが、なにか特別な感情だとはわかってました。10歳の時にゲイという言葉を知って、なるほど、私の感情もこういうことなんだと気が付きました」と率直なコメントを残してくれています。

 

 

「基本的に私の精神は男性です。でも、今の段階でこれ以上のことをするつもりはありません。髪を短くして、男性のファッションをする。それだけです」
 
・・・母親とは絶縁状態、薬を使用している…といった噂もあります。彼女は今、幸せなのでしょうか?

 

 

 
 

中村中「友達の詩」から10年、歌で伝えたい思い


 
中村中の代表曲『友達の詩』のサビの冒頭に「手を繋ぐくらいでいい、並んで歩くくらいでいい」とあります。もし彼女が「性同一性障害」をカミングアウトしていなければ、誰がこの歌詞に込められている15歳の恋心の域を超えた悲痛な叫びを想像できたでしょうか?

彼女の登場は、マジョリティとされる人々がマイノリティである人々の苦悩に目を向けるきっかけにもなったのです。

 

いつの世も、歌にはメッセージが込められています。人々は心を動かされ、考えさせられてきました。中でも、恋愛ソングは共感しやすいものです。しかし、恋心を押し殺してきた中村中の歌には、単なるラヴソングではないリアルな生命の叫びが感じられます。

2015年に発売されたアルバム「去年も、今年も、来年も」には、『友達の詩』のように ”うまくいかない恋愛” をテーマにした8曲が収録されています。

 

 

長い苦悩の生活を乗り越え、カミングアウトしてから10年。中村中は多くの経験を重ねながら、何度も立ち上がり、成長してきました。

そんな彼女だからこそ、苦しみや悲しみを抱えている人たちを、「恋愛」という一つのテーマを通して励ましていくことができるのです。