サッカーの日本代表は、1998年開催のFIFA ワールドカップ (フランス大会) 以降ずっとW杯に出場し続けています。おまけにアジア杯では、それなりの成果をあげています (優勝回数4回と歴代トップ)。
【 アジア杯の優勝国】
・・・
🔵 1992年 : 日本 (開催国 : Japan)
◉ 1996年 : サウジアラビア (UAE)
🔵 2000年 : 日本 (Lebanon)
🔵 2004年 : 日本 (China)
◉ 2007年 : イラク (Indonesia, Malaysia, Thailand, Vietnam)
🔵 2011年 : 日本 (Qatar)
◉ 2015年 : オーストラリア (Australia)
◉ 2019年 : カタール (UAE)
ところで日本のサッカー史上、誰がNo.1のフットボーラーだと思いますか?
以下に紹介する「日本人ベストプレーヤー」ランキングは人気順とも言えますが、間違いなく実力によるものです。いったい誰がNo.1に選ばれているのでしょう?気になりますねー。
近年は日本人も数多く、ヨーロッパの有名クラブに参加 (所属) するようになってきました。それはひとえに、以下のランキングに名を連ねる先駆者 (スーパースター) たちの功績とも言えるでしょう。
2022年のW杯 (カタール大会) に向けて、ここで歴代トップ10の選手たちを確認しておきましょう。
★ 10位 : 稲本潤一
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◉ 身長 : 181cm
◉ ポジション : MF, DF
◉ 生年月日 : 1979年9月18日
◉ 鹿児島生まれ、大阪育ち
稲本潤一選手は、欧州サッカーに果敢に挑戦していったありがたい先駆者の1人です。ちなみに彼のキャリアは以下の通り。
◉ ガンバ大阪 (1997 – 2004年)
◉ アーセナル FC (2001 – 2002年 loan)
◉ フラムFC (2002 – 2004年 loan)
◉ ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン (2004 – 2006年)
◉ カーディフ・シティ (2004 – 2005年 loan)
◉ ガラタサライ (2006 – 2007年)
◉ フランクフルト (2007 – 2009年)
◉ スタッド・レンヌ (2009 – 2010年)
◉ 川崎フロンターレ (2010 – 2014年)
◉ コンサドーレ札幌 (20015 – 2018年)
◉ SC 相模原 (2019 〜 )
【Arsenal】
アーセナル時代は、「うまい選手だったんだけど、自信がないようにも感じられたね」と評されています。
【Fulham~】
その後、フラムに行ってからは生き返ったかのような活躍を見せますが、脚を怪我してからはその輝きを失ってしまいました。そして、2010年に日本 (Jリーグ) に戻ってくるのです。
一番印象的だったのは、2002年日韓W杯での大活躍でしょう。ベルギー 戦とロシア戦でゴールをあげ、大車輪の活躍を見せました。
☆ 9位 : 岡崎慎司
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◉ 身長 : 174cm
◉ ポジション : FW
◉ 生年月日 : 1986年4月16日
◉ 兵庫生まれ
岡崎慎司選手は清水エスパレス 、シュトゥットガルト、マインツを経て、2015年からはプレミアリーグのレスターシティで活躍しています。
そして、2016年には歴史的快挙を達成!なんと、プレミアリーグのチャンピオンに輝いたのです。ニューキャッスル戦ではオーバーヘッドキックを決め、そのゴールは世界中で話題となりました。(優勝の)「影のヒーロー」とも称されています。
◉ 清水エスパレス (2005 – 2010年)
◉ シュトゥットガルト (2011 – 2013年)
◉ マインツ (2013 – 2015年)
◉ レスター・シティ (2015 〜 )
ちなみに2011年のアジアカップ、サウジアラビア戦では日本代表として自身3度目のハットトリックを達成!この記録は三浦知良選手に並ぶ歴代2位タイです。そんな彼は、(2019年時点で) 日本代表得点ランキング「歴代3位」の記録を持っています。
★ 8位 : 長友佑都
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◉ 身長 : 170cm
◉ ポジション : DF (左サイドバック)
◉ 生年月日 : 1986年9月12日
◉ 愛媛生まれ
サッカーの強豪・東福岡高校で活躍するも全国的には無名だった長友選手。スポーツ推薦を得ることができず、指定校推薦という形で明治大学に進学します。そんな彼は長年にわたり、フルバック、ウイングバック、右、左とポジションに関係なく、ユーティリティ・プレーヤーとして活躍してきました。
大学時代にプロの目にとまった彼は、「女手一つで3兄弟を育ててくれた母親に楽をさせてあげたい」という思いで、卒業を待たずFC東京と契約。
◉ FC 東京 (2007 – 2011年)
◉ チェゼーナ (2010 – 2011年 loan)
◉ インテル・ミラノ (2011 – 2018年)
◉ ガラタサライ (2018 〜 )
2011年にインテル・ミランに加わってからは、セリエAを代表するディフェンダーとして安定したパフォーマンスを発揮 (今までアジア人が達成することのできなかったレベルで活躍) 。2014-2015シーズンにはインテルの副主将に就任。
2018年のロシアW杯メンバーに選出されたことで、W杯3大会連続出場を達成。2019年のアジアカップでもレギュラーとして活躍。そんな彼は明るく元気なキャラクターでみんなの人気者です ☺️
☆ 7位 : 遠藤保仁
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◉ 身長 : 178cm
◉ ポジション : MF
◉ 生年月日 : 1980年1月28日
◉ 鹿児島生まれ
多くの同僚たちとは異なり、遠藤選手は海外のクラブに所属したことが一度もありません。Jリーグ一筋!しかしながら、海外のクラブに挑戦しなかったことが彼のキャリアを妨げることは一切ありません。
誰よりも多く「サムライブルー」の一員として国際舞台で活躍し、アジアカップでは2度 (2004年と2007年)、チャンピオンに輝いています。もちろん、W杯でも活躍してきた (まだまだ現役の) レジェンドの1人です。
◉ 横浜フリューゲルス (1998 – 1999年)
◉ 京都パープルサンガ (1999 – 2001年)
◉ ガンバ大阪 (2001 〜 )
そんな彼は、パス・得点・フリーキックの正確さ・創造性・リーダーシップの能力に長けており、Jリーグのベストイレブンに数多く選出されています。AFCの「Player of the Year」にも選ばれるほどの有能な選手なのです。
★ 6位 : 長谷部誠
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◉ 身長 : 180cm
◉ ポジション : DF, MF
◉ 生年月日 : 1984年1月18日
◉ 静岡生まれ
3歳の時にアニメ「キャプテン翼」の主人公大空翼に憧れてサッカーを始めた長谷部選手は藤枝東高校時代、「能力は高いがフィジカルが弱い」を指摘されていました。
高校卒業と同時に浦和レッズに加入した彼は、徐々に力を発揮し始めるもしばらくは日本代表から遠ざかっていました。
◉ 浦和レッズ (2002 – 2007年)
◉ ヴォルフスブルク (2008 – 2013年)
◉ ニュルンベルク (2013 -2014年 )
◉ フランクフルト (2014 〜 )
ヴォルフスブルク移籍2年目 (2009年) になってから、ボランチの他に右サイドハーフ、右サイドバックでもプレー。そして、途中移籍してきた大久保嘉人とともに (奥寺康彦さん以来31年ぶりに) ブンデスリーガ優勝を経験した日本人となったのです。
2018 – 2019年シーズンはフランクフルトでリベロとしてフル出場を重ね、「ベストイレブン」「ベストCB」などに選出されています。
日本代表においては2008~2018年のおよそ10年間、レギュラーとして定着 (2010年からはキャプテン)。2018年のロシアW杯メンバーに選出されたことで、W杯3大会連続出場を果たします。
ダブルボランチの一角としてグループリーグ3試合に出場し、キャプテンとしてGL突破に貢献。しかしチームは決勝トーナメント1回戦でベルギーに大逆転負けしてベスト16止まり。そして、この大会限りでの代表引退を表明したのです (W杯3大会・11試合出場は、川島永嗣、長友佑都と並んで日本人最多出場)。
☆ 5位 : 小野伸二
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◉ 身長 : 175cm
◉ ポジション : MF
◉ 生年月日 : 1979年9月27日
◉ 静岡生まれ
小学生の頃から「天才」と呼ばれていた小野選手は、1998年のW杯フランス大会でフル代表として初出場 (18歳)。その後のサッカー人生はバラ色かと思われていたのですが。。。1999年に左膝靭帯断裂の重傷を負ったことで、慢性的な痛みや故障の頻発を抱えるようになっていきます。
しかしながら、フェイエノールト時代にはレギュラーに定着しUEFAカップに優勝 (2002年)。その直後の日韓W杯では日本代表に選出され、虫垂炎を患いながらも全4試合に出場。日本代表として史上初のベスト16に貢献したのです。ちなみに2002年度には、AFC (アジアサッカー連盟) から年間最優秀選手賞を送られています。
◉ 浦和レッズ (1998 – 2001年)
◉ フェイエノールト (2001 – 2005年)
◉ 浦和レッズ (2006 – 2007年)
◉ VfL ボーフム (2008 – 2009年)
◉ 清水エスパレス (2010 – 2012年)
◉ ウエスタン・シドニー (2012 – 2014年)
◉ コンサドーレ札幌 (2014 〜 )
彼は中盤の攻撃的な位置から攻撃を組み立てるゲームメーカー & チャンスメーカーであり、そのボールコントロールの正確さから「ボールと会話ができる」と言われています。また、受け手に優しいパスは「エンジェルパス」「ベルベット・パス」とも。
元オランダ代表のスナイデル選手には「今まで対戦した選手の中で最も上手い選手の1人」と言わせしめるほどの実力者なのです。
★ 4位 : 中村俊輔
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◉ 身長 : 178cm
◉ ポジション : MF
◉ 生年月日 : 1978年6月24日
◉ 神奈川生まれ
2002年5月、日韓ワールドカップ日本代表入りが有力視されていた彼は、代表合宿で痛めていた足首の怪我が長引いたこと、当時の代表監督トルシエの選考基準に合致しなかったことから落選。しかしながら、怪我が癒えた直後の7月にはレッジーナ (セリエA) に移籍しレギュラーを確保。見事、チームのセリエA残留に貢献したのです。
その後、2005年にはスコティッシュ・プレミアリーグ2強の一角であるセルティックに移籍し、リーグ優勝 & 国内カップ戦優勝の2冠を獲得!2006-2007シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではマンチェスター・ユナイテッド戦でFKからの得点を決めたりダンディー・ユナイテッド戦でハットトリックを決めるなど大活躍!その後も大活躍を続け、アジア人選手として初の欧州リーグでのMVPを獲得するのです。
◉ 横浜F・マリノス (1997 – 2002年)
◉ レッジーナ (2002 – 2005年)
◉ セルティック (2005 – 2009年)
◉ エスパニョール (2009 – 2010年)
◉ 横浜F・マリノス (2010 – 2016年)
◉ ジュビロ磐田 (2017 〜 )
中村選手は、ヨーロッパの主要サッカーリーグで年間最優秀選手賞を受賞した初めての日本人選手となりました。
海外では、「FWもできるしMFもできる」「DFを抜くこともできるしパスも出せる」「創造性があって相手を交わす能力を持っている」「彼は天才だ」「技術面ではチームNo.1だ」などと評されていました。
セルティック時代には、契約した数日後に参加した練習でFKをどの選手が蹴るかのコンテストがあって、そこで10本中10得点を決めたことでFKキッカーを任されるようになったようです。
元チェコ代表のレジェンド、ネドベドも、中村のテクニックを高く評価していました。元スロベニア代表のイリチッチは「セットプレーで中村に強く影響を受けた。彼は世界一だよ」と述べています。
2009年秋、オランダとの親善試合で「誰がFKを蹴るか」で中村と衝突した本田圭佑はのちにこう語っています。「後にも先にも、シュンさんよりFKがうまいと思ったことは1度もない。ただあの時は蹴りたかったから主張した」。
中村のフリーキックは世界的にも評価が高く、海外のメディアが選出する名キッカーのランキングには幾度となく選出されています。
☆ 3位 : 本田圭佑
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◉ 身長 : 182cm
◉ ポジション : MF, FW
◉ 生年月日 : 1986年6月13日
◉ 大阪生まれ
中学時代のあだ名はゴリ。当時はスタミナやスピードに難があり、ユースチームへの昇格内定が出なかったため、石川県の星稜高校に進学。ここで3年生の時にキャプテンとして全国高校サッカー選手権大会に出場し、ベスト4。複数のJリーグクラブからオファーを受けていた彼は名古屋グランパスと契約。
その後、2008年にはエールディヴィジ (オランダ1部リーグ) のVVVフェンローに移籍しレギュラーとしてプレイするも、2部へ降格。しかしながら翌年、背番号を10に変更し攻撃の軸 & キャピテンとして活躍し、1部復帰に貢献。2部リーグにおける年間最優秀選手賞 (MVP) を受賞しています。
CSKAモスクワを経て2013年に移籍したイタリアセリエAの名門 ACミランでも背番号は10。そこそこの活躍はしますが、怪我の影響もあって爆発はできず。
日本代表では3度のW杯出場 (2010, 2014, 2018) を果たし、その全てで得点を挙げています。2019年時点では、2020東京オリンピックにオーバーエイジとして出場することを目標に、オーストラリアのメルボルン・ビクトリーで選手として、またカンボジア代表の監督として頑張っています。
◉ 名古屋グランパス (2005 – 2007年)
◉ VVV フェンロ (2008 – 2009年)
◉ CSKA モスクワ (2010 – 2013年)
◉ ACミラン (2014 – 2017年)
◉ CFパチューカ (2017 – 2018年)
◉ メルボルン・ビクトリー (2018 〜 )
日本代表監督として4年間本田を指導してきたザッケローニ氏は「素晴らしい技術に恵まれた偉大なプロ意識の持ち主だ。彼は日本人選手としては珍しいタイプでフィジカルがとても強い。際立ったパーソナリティーがあり、試合の中で多くのボールを必要とする。」「少し引っ込み思案なところがあってたくさん喋るタイプではない。だが、ピッチの上では自分の方法でリーダーになる事を知っているね。」とのちに語っています。
プライベートではいつも両腕に腕時計をつけています。(CSKAモスクワ在籍中) その理由について、「僕のスタイルだからだが別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように。」と答えています。
★ 2位 : 中田英寿
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◉ 身長 : 175cm
◉ ポジション : MF
◉ 生年月日 : 1977年1月22日
◉ 山梨生まれ
Jリーグに加盟する全12クラブ (当時) のうち11クラブからオファーを受けた中田選手はその中からベルマーレ平塚を選び加入します。翌年、ゲームメイクの能力を買われてトップ下にコンバートされ、1996年にはアトランタ五輪に出場。後に「マイアミの奇跡」と言われるブラジル戦勝利に大きく貢献します。
次戦のナイジェリア戦では、日本のDF陣に対して「もっとラインを押し上げてくれないと攻撃できない」と意見しますが、受け入れてもらえず。西野朗監督には叱責され、信頼を失って最終戦は外されることとなったのです。
同じく下の世代から選出されたDFの松田直樹なども実は中田と同じ意見だったようですが、「世界を知らない上の世代には言ってもわかってもらえない」と思い黙って見ていたそうです。
その後、1998年のW杯フランス大会前に行われたアジア第3代表決定戦 (1997年) となったプレーオフ・イラン戦では、中山雅史、城彰二、岡野雅行があげた全てのゴールの決定機を作る活躍で勝利に貢献!『ジョホールバルの歓喜』と称して今も語られています。
日本の初出場となったW杯フランス大会では、チームの核としてグループリーグ全3試合にフル出場。ここで彼は海外のクラブに認められ、「中田獲得」に名乗りをあげたクラブは12にのぼったと言われています。
◉ ベルマーレ平塚 (1995 – 1998年)
◉ ペルージャ (1998 – 2000年)
◉ ASローマ (2000 – 2001年)
◉ パルマ (2001 – 2004年)
◉ ボローニャ (2004年 , loan)
◉ フィオレンティーナ (2004 – 2006年)
◉ ボルトン (2005 – 2006年, loan)
その中から、レンタルに出される可能性のあるビッグクラブ (アーセナル、ユベントスなど) を外し、移籍金470万ドルでペルージャへと完全移籍したのです (21歳)。1998-1999シーズン開幕戦ではジネディーヌ・ジダンを擁する強豪ユベントスから2ゴールを奪うセンセーショナルなデビューを飾り、年間10得点をあげるという大活躍!
1999-2000シーズンの開幕前には中田に興味を示す欧州のクラブが続出しましたが、ペルージャが移籍金を釣り上げたため契約には至っていません。
ローマ時代はボランチで起用されることが多く、「ローマの貴公子」トッティが欠場した時には従来のポジションであるトップ下で出場。
2001年のコンフェデレーションズ杯では、セリエAの首位を走っていたASローマと日本代表監督フィリップ・トルシエとの間で「中田の招集」を巡って軋轢が発生。「グループリーグの3試合のみ」という条件で日本代表に参加しますが、日本がグループリーグを突破するとトルシエは中田に「準決勝以降も出場するよう」要請。
結局、日本サッカー協会とASローマとの話し合いの末に準決勝まで参加を延長し、その後イタリアに戻ることになったのです (日本人で初めてセリエA優勝メンバーとなりました)。
2001年には、当時のアジア人選手最高額となる約33億円の移籍金でパルマに移籍。ボローニャ時代には、セリエAと日本代表の全試合にフル出場するという過密な日程をこなし、サッカー選手の職業病ともいえるグロインペイン症候群を発症しますが、ボローニャのセリエA残留に大きく貢献。
高校生の頃からセリエAへの移籍を考えイタリア語を勉強していたという彼は英語も堪能で、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語なども簡単な挨拶程度なら話せるようです (本田圭佑との対談ではロシア語を披露し本田を驚かせています)。
ボローニャ時代のマッツォーネ監督は、「規律を守り、基本を疎かにせず、自分なりの目的をしっかりと持ってトレーニングに励んでいた。チームメイトは『ナカタはすぐに腹筋する変な癖がある』と言っていたよ(笑)」と話しています。
このようなサッカーに対する真摯な姿勢からか、他チームに移籍しても古巣との試合では相手サポーターから拍手が送られます。元日本代表監督のジーコさんは、「どんな状況でも全ての力を注ぐことができる大きな才能を持っている」と評しています。
引退後は、フィリピンのスラム街の子供たちと一緒にサッカーを楽しんだりチベットの僧侶たちにサッカーのコーチをしたりと、世界各地でサッカーを通じた交流を行っています。中東では情勢が緊張していることもあって「国境を越えるのは大変だろうな」と思っていたところ、周囲に「ナカタ?」と気づかれ、顔パスのような待遇を受けたと語っています。
☆ 1位 : 香川真司
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◉ 身長 : 175cm
◉ ポジション : MF
◉ 生年月日 : 1989年3月17日
◉ 兵庫生まれ
高校2年生にしてセレッソ大阪とFC東京からオファーを受けていた彼は、地元に近かったセレッソを選択。ここから彼のプロフットボーラーとしての人生が始まります。
2010年、ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに移籍。その前年に彼はドルトムントのホーム試合に招待され、8万人を超える観衆の大声援に感激。早い段階でドルトムントへの加入希望を伝えていたそうです。
その後、ドルトムント史上初となる国内2冠に大きく貢献した彼はブンデスリーガの年間ベストイレブンに選出され、欧州年間ベストイレブンにも選ばれました。
日本代表としてのデビューは2008年。その後2011年には中村俊輔が代表を引退してから空き番となっていた背番号10を着用。怪我の影響などもあって「自国民を失望させた」選手に選ばれたこともありましたが。。。
2018年のロシアW杯でも背番号10を背負い、日本の躍進に大きく貢献してくれました。大会直前には怪我の影響で試合勘が問題視されていたにも関わらず、です。結果、チームの勝利に貢献する活躍を見せてくれた彼は、イギリスBBCが選ぶ第1節ベストイレブンに名を連ねました。
◉ セレッソ大阪 (2006 – 2010年)
◉ ボルシア・ドルトムント (2010 – 2012年)
◉ マンチェスター・ユナイテッド (2012 – 2014年)
◉ ボルシア・ドルトムント (2014 – 2019年)
◉ ベシクタシュ (2019 〜 )
ドルトムントでチームメイトだったドイツ代表MFのマリオ・ゲッツェは「シンジはセカンドトップとしてヨーロッパ・ナンバーワンのプレーヤーだと思う。見ていて何度も腰を上げちゃうほどエキサイティングなプレーを連発しているよね」と語り、
ドイツ代表DFのマッツ・フン メルスは「シンジはワールドクラスの選手だ。ボールをキープする際のスピードとテクニックには悪魔的な怖さを感じるよ。味方でよかった。」と語っています。
また、マンチェスター・ユナイテッド時代のルーニーは「6人でサッカーをするなら誰を選ぶ?」との質問に、ポール・スコールズ、ダニー・ウェルベック、トム・クレヴァリー、ライアン・ギグス、ロビン・ファン・ペルシー、そして香川真司を選んでいます。
2019年1月31日、ベシクタシュ (トルコ) に半年間の期限付き移籍が発表されました。そして新天地でのデビュー戦。後半81分からの途中出場で2ゴール!これからの活躍にも期待です。