日本とベトナムの歴史的友好関係について

ベトナムは今「東南アジア諸国の中で最も急速に発展している国」の一つで、その勢いは中国に迫るものがあります。人口構成がとても若く、9,500万人いる人口のおよそ60%が35歳という若さです。海外からは「投資&市場の対象」として大注目を集めています。日本も、橋作りなどのインフラ整備に多くの支援を行っています。そんな両国の歴史は思いのほか長く、1000年の歴史があるとも言われています。友好的な貿易の歴史は戦国時代 (16世紀) にまで遡ることができます。

今回は、そんな日本とベトナムの歴史的友好関係について簡単にまとめてみました。

 

昔々…

日本とベトナムの歴史は、はるか昔までさかのぼることができます。両国の関係は常に強化され、新たなレベルへと向上し、現在は最も強い発展期にあると言えるでしょう。振り返ってみると、8世紀には阿倍仲麻呂 (698 – 770年) が唐王朝 (中国) の役人になり、のちに現在のベトナム (ハノイ辺り) に赴任していた (761 – 767) という記録もあります。また、考古学的発掘において、1330年と刻まれたベトナムの陶器が九州で見つかったりもしています。このことは、古く(日本の戦国期以前) から両国に交易があったことを示しています。

 

 

16〜17世紀

より本格的な関係が築かれていったのは16〜17世紀になってからです。それはシャム (タイ) やマレーシアなどと同時期のことで、貿易や物々交換という形でした。17世紀初頭にはホイアン (ベトナム中部) の港に日本船が度々訪れ、現地に数百人の日本人が住み着いていた (日本町ができた)という記録があります。日本人の商人たちはベトナムからシルクや砂糖、スパイス白檀(ビャクダン)などを購入し、逆にベトナム人は日本から銀・銅・青銅など (銃やお金を作るのに極めて重要)を買っていました。

こうして日本とベトナムは友好関係を維持していきます。徳川家康は友好的な手紙や贈り物をベトナムに送っていますし、日本の貿易商は現地の人々に度々お金を寄付しています。そして日本が鎖国に入った後も、定住者やオランダ人商人を通じて関係は続いていくのです。

 

 

ベトナム戦争 (1955〜1975年) 後

ベトナム戦争の間、日本は一貫して「早期和解」を促していました。日本はベトナム戦争が終わる前でさえ、ベトナム (北ベトナム) 政府と接触し、1973年には外交関係を樹立する合意に達しています。実際のところ、第二次世界大戦の補償問題もあったため、正式な国交再開には数年かかりましたが、両国は経済協力の形で (日本がベトナムに) お金を支払うことで合意。その後、1975年にはハノイに大使館が開かれました。

1980年代の終わりに、ベトナムはソビエト連邦の弱体化やラオスでの継続的な武装抵抗などから国際的孤立状態に陥り、経済問題に直面していました。1989年、ハノイは実戦部隊のほとんどをカンボジアから撤退させ、先進国に経済協力や援助などを要求。これに対して日本政府は、ラオスでの包括的な和解が成立するまでは経済協力に応じられないとの立場を取りました。その後1991年に、日本はベトナムとカンボジアに外交関係を樹立して経済規制を解除していきます。そして翌1992年、日本はベトナムに対して多額の援助を行ったのです。日本はカンボジアでの平和維持活動においても重要な役割を担いました。

 

 

近年

2013年、両国は「外交関係設立40周年」を迎えました。これを記念して、両国の多くの地方で「政治・外交・文化」的な活動が行われます。400年以上前、ホイアンで両国の貿易交流が繁栄していた頃を思い出します。日越友好関係は、文化的類似点から生まれ、自然に形成され、発展してきています。(近年の) 正式に外交関係を設立してからの40数年間、両国は「政治・外交・経済・貿易・投資・人材育成・科学技術・文化・民間交流」など全ての分野において、互いに重要なパートナーとなっています。

 

日本が作った The Nhật Tân Bridge (ニャッタン橋:世界最大級の斜張橋) この橋は別名 Vietnam–Japan Friendship Bridge と言います。

 

日本は「ベトナムの最も重要なパートナー」となっています。「自由貿易協定」 (FTA) や「日越経済連携協定」(VJEPA)を締結していますし、金額面や案件数からみても、「日本はベトナムの最も大きな投資国」であり、加工業と製造業を中心とした投資額は345億ドルに達しています。日本は世界経済危機や大災害 (震災や大洪水など) の多大な影響を受けていますが、それでも引き続きベトナムの最も大きなODA援助国となっています。G7メンバーの日本は、最初にベトナム経済を市場経済に認めた国でもあるのです (2011年)。

現在も、日越関係は強い発展期にあります。良好関係は更に発展し続けていくことでしょう。なぜなら、両国の間には「政治的信頼」と「相互発展という共通認識」があるからです。日越関係は互いに発展し、(自国の繁栄だけでなく) 世界の平和・繁栄・安定にも貢献しているのです。

 

 

ベトナムという国を知ろう

ベトナム社会主義共和国 (通称ベトナム) は (日本人の) 海外赴任先として人気が高く、ハノイやホーチミンなどに多くの日系企業が進出しています。GDP成長率が約8%と急速な経済成長を続けており、いわゆる発展途上国の中では比較的富裕な国と言えるでしょう。東南アジア (シンガポール、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイなど) へは飛行機で2時間圏内にあるため、海外との交易は盛んです。

ベトナム北部の気候は亜熱帯で沖縄のような気温の変化があり四季の移り変わりがありますが、南部では四季がなく乾季と雨季があって気温の変化はあまりありません。ベトナムが「市場」として高く評価されている理由は、その平均年齢にあります。日本は45歳くらいで少子高齢化が進み人口は減少傾向にありますが、ベトナムの平均年齢は約30歳。働き盛りが国民の大半を占めています。このように、労働力の確保が容易で経済成長が見込める国であることから、多くの海外企業が注目しているのです。

これまで述べてきた通り、日本との関係は良好です。同じアジアの国として、また重要な輸出入の取引相手としてお互いを尊重しており、政治家たちの行き来も盛んです。ベトナム経済には様々な国が投資していますが、日本はその中でも最大で約330億ドルとなっています。貿易取引額は250億ドルで、大企業も中小企業も多く関わっています。日本からベトナムへのODAは2013年までに230億ドルとなっており、インフラや医療、教育面での支援額もかなりのものです。こうした援助を続けてきた結果、ベトナムと日本との関係は密接になっており、日本人に対するイメージも良いものとなっています。

 

 

ベトナムは日本に似ている

「ベトナム戦争」「ホーチミン」「社会主義国」「東南アジア」「フォー」・・・ベトナムについて、普通の日本人が思いつくのはそれくらいかもしれません。しかしながらベトナムは、実は「日本とは兄弟」と言ってもいいくらいよく似ているのです。そもそもベトナムはその歴史において、朝鮮半島や日本と同じく中国の強い影響下にありました。その結果、インド文化の影響が強い東南アジアと考えるよりも、東アジアの国と考えた方が理解しやすいのです。

事実、ベトナムは日本同様「漢字文化圏の国」ですし、ハノイは「河内」、ホーチミンは「胡志明」と漢字による表記があります。現在はフランス人宣教師が考案したローマ字による表記が用いられていますが、漢字は第2次世界大戦前までごく普通に使われていました。現在、日本はベトナムに対する最大の資金提供国の一つとなっています。2011年のODAを見てみると、日本はベトナムの第二の提供国である韓国の4倍も寄付をしているのです。「勤勉」で「真面目」な国民性を持つ両国の発展を願ってやみません。