【長崎平和宣言】戦争と核兵器のない「美しき地球」の実現を願って…

 

8月15日は私たち日本人にとってとても特別な日です。日本政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」「終戦記念日」としています。1945年 (昭和20年) 8月15日、昭和天皇は「玉音放送」によって大日本帝国政府がポツダム宣言を受託 (日本軍の降伏表明) したことを国民に公表しました。

この「終戦」直前には日本各地が大空襲を浴び、数千人に及ぶ尊い命が無残にも失われてしまいました。そして、さらにその前には広島と長崎に原爆が投下されたのです (原爆の被害者数には諸説ありますが、ここでは総死傷者数として広島25万人、長崎15万人、計40万人としておきます)。

 

 

「ノーモア ヒバクシャ」

 

 

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰もが永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、、、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を使うことはもちろん、持つことも配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは被爆者が長年積み上げてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 

原爆投下で、あまりにも冷酷かつ非人道的に破壊された街…

 

この「核兵器禁止条約」を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界から無くそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には1万5000発近くの核兵器があります。核兵器をめぐる国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。

 

しかも、核兵器を持つ国々はこの条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約 (NPT) はすべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 

原爆の犠牲者たち

 

日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。

唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは忘れません。1945年8月9日午前11時2分、この長崎の丘の上空で原子爆弾が炸裂し、15万人もの人々が死傷した事実を!

 

 

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼け野原となりました。皮膚が垂れ下がりながらも家族を探しさまよい歩く人々。。。黒焦げの子供の傍らで茫然と立ちすくむ母親。。。街のあちらこちらに地獄絵図のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

そして、70年以上が経った今でも、放射線の障害が被爆者の体を蝕み続けています。原爆は、いつもそばにいた大切な家族や友達の命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無残に狂わせたのです。

 

世界各国のリーダの皆さん。被爆地を訪れてください。遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、、、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら 、、、と考えてみてください。

人はあまりにも辛く苦しい体験をした時、その記憶を封印し語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために懸命に伝えようと決意しているからです。

 

強烈な被曝により石段に焼き付けられた人の影…

 

世界中の全ての人に呼びかけます。もっとも怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へと繋いでいきましょう。

被爆者が声を枯らして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志なのです。

 

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たちは核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 

 

 

もし、原爆が今の時代あなたの住む町に落とされたとしたら…

 

考えてみてください!

 

 

未来には、負の遺産ではなく輝かしい何かを残すべきなのです!