「本音」と「建前」…外国人が理解しがたい日本の伝統文化

 

日本人が「場」や「状況」を選んで会話を変える目的は、より個人的な関係の中で相手と本音で意見交換することにあります。いや、本音でというよりも、多少ウソでも円滑な人間関係を築くことにある…といった方が正しいかもしれません (噓も方便)。

人の本心を示す「本音」と社交辞令の「建前」は、日本人のコミュニケーション・スタイルを理解する上でとても重要な概念の一つです。

 

日本人は、場と相手によって「本音」と「建前」をうまく使い分け、コミュニケーションします。それは全ての人と「和」を保つためのテクニックであり、人とストレスなく円滑に交流するためのノウハウなのです。

 

 

(外国人が) 「本音」と「建前」を理解するために必要なこと

「本音と建前」を理解するには、「内と外」という概念を知る必要があります。内とは、自分が所属している組織・団体・共同体・国のことです。家族が最低単位の「内」ですが、日本では特に、常に一緒に仕事をしている会社の同僚を「内」として捉え、そこでは単にビジネスのことだけでなく、個人的な人間関係をも構築していきます。

そして、その「内」に入らない人や社会は「外」で、そこでは基本的に外交的な付き合いがあるだけです。内の人間に本当に思っていることを伝えることが「本音」で、「外」の人間に行う上っ面の外交辞令が「建前」となります。

(内の人間に「建前」が必要な場合も少なくありませんが)

 

 

 

 

外資系企業において

この「内・外」概念がもたらす確執は、外資系企業では頻繁に見られます。外資系企業に勤めると、(同僚と) 日本人同士のような仲間意識が持てないため、なかなか本音で喋ることができません。つまり、仲間であるはずの同僚を「内」の人間として認識しづらいのです。

外資系企業において、いつまでも自らの組織を「内」として捉えられない日本人。この心理構造の確執は、これからもっと拡大するかもしれないクラシックな課題と言えるでしょう。

 

 

 

 

ダメならダメとはっきり言って!

日本人の間では、直接はっきり「ノー!」と拒絶するよりも雰囲気で相手に自分の意志を伝える方がより相手の感情を害さずに対応できると思っているのでしょう。しかし、このやんわりとした意思疎通は外国人にとって不可思議以外のなにものでもありません。

こうした婉曲なアプローチは、「いったいこの人は責任を持ってビジネスをしているのだろうか?」あるいは「「信頼して一緒にビジネスできるのだろうか?」という危惧を相手に与えかねません。

日本人の「和」の精神は日本人の善意に育まれています。しかしながら異文化圏で育っている海外の人たちにはこの「和」を理解してもらえません。とても残念で悲しいことですが、それが異文化環境での現実なのです。

 

 

 

 

日本人が「難しい」って言う時は本当に難しいの?

婉曲とは、はっきりと意見を言わず、間接的あるいは感情を抑制して相手に考え方を伝えることを意味する言葉です。例えば、日本人は何か提案を受けた場合、よく「難しいですね〜」というふうに相手に応答します。ほとんどの場合、その意味するところはノーです。

すなわち、相手に失礼にならないように婉曲に断っているのです。しかし、海外の人が言葉通りそれを受け取れば、「難しいのはわかる。だから何が難しくてどのように克服すればいいのだろうか?」ということになってしまいます。

日本人には日本人の間だけで通じる「あうんの呼吸」というものがあって、「難しい」と言えば、その時の表情や雰囲気、あるいは日本人独特のジェスチャーで本当に拒絶を意味するのかどうかを察することができますが、異文化環境下ではそれは通じません。

 

 

 

 

「考えておきます」って言われてその後何も起きないのはなぜ?

前項の「難しいですね」よりさらに困るのは、提案を受けた時「考えておきます」というふうに日本人が答えた場合です。京都など古い文化が根付いているところでは、これは「ノー」を意味するわけですが、ほかの地域でもけっして前向きな応対ではないはずです。

しかし海外の人は「考えておきます」と言われれば、言葉通り本当に考えてくれると思うことでしょう。それで何度も「その後どうなった?」という問い合わせを受けてうんざりする日本人が出てくるわけです。

 

 

人によっては「日本人はやる気がない」「あいつは後ろ向きな人間だ」などと評価されてしまうかもしれません。

そんなわけで、これからの日本人はどんな場合であっても、しっかりと相手の目を見て表情豊かに自らの答えをクリアに伝えるよう努めるべきなのではないでしょうか。

もしもあなたの答えがノーの場合、その理由を明快にわかりやすく説明することも大切です。