「融通利かず」「柔軟性なし」の日本人…でも長所だってあるんですよ

 

「型」という概念を重んじる日本人は、それを習得するためのプロセスも大事にします。これに対して、より合理的にビジネスの結果を生み出そうとする欧米の人たちは、プロセスよりも個々のやり方を尊重します。

日本人の上司がアメリカ人の部下に「机を片付けなさい」と指導して、それが部下の不満になったという事例もあります。海外の人は、机の整理整頓は個人の生活習慣の問題で、(スキル習得の) プロセスにすら該当しないと考えています。

 

机の整理整頓は個人の問題?

日本では、上司が「机を整理整頓しなさい」と言えば、暗黙のうちに「そうすることが、仕事を覚える上で大事なことなんだ」と理解し、上司の指導にきちんと従うものです。

しかし、欧米人が部下だった場合、「それは個人の問題だ。そんなことをとやかくいわれるなんて心外だ」と反発されるかもしれません。

「プロセスの重要性」を指導する際には、それがどれだけ理にかなったものなのかを論理的に伝える必要もありそうです。

 

 

日本人のスポーツの指導方法、変じゃない?

前項で指摘した、「(長い) プロセスを通して型を習得し結果を出す」という日本流訓練の道のりの中で、欧米人が最も不思議に思うことの一つがスポーツの指導・練習方法です。

例えば剣道を学ぶとき、初心者は道場の床掃除をやらされます。野球を学ぶときには球拾いや素振りの繰り返しです。これらのいずれも、技術習得には直結せず、無駄なことのように思えるのです。

日本流の精神鍛錬という考え方があるにしても、「なぜみんなが同じように床掃除をしなければならないのか」が理解できないのです。

 

日本の会社では、新入社員が長い間単純な仕事の繰り返しを求められることもありますが、そんなことをすれば、外国人たちはすぐに転職することでしょう。

日本人なら当然のこととして受け入れるこうした修練の過程は、あくまでも伝統的な価値観によって日本人の間にだけ共有されてきたものである…ということを理解しておく必要がありそうです。

 

 

柔軟性のない日本人

「型」を重視する日本人の弱点は2つあると言われています。1つは、「型」を破ることができず1つの方法に固執しがちなこと。そしてもう1つは、上司の命令に従い過ぎた部下が自分で考えることができなくなることです。

欧米のレストランではお客さんが料理に細かく注文をつけてきます。例えば、「トーストの上に目玉焼きを乗せて、それからサイドディッシュとしてイチゴを小皿に盛ってきて」といった具合に。

 

日本では、メニューにはないこうした注文に応じることは稀です。ウエイターやウエイトレスが臨機応変に判断することもできなければ、例外を受け入れる発想すらありません (もちろん、おもてなしを重視する旅館などのケースでは例外もありますが)。

しかしながら、型 (マニュアル) にハマったことであれば日本人は突出してうまく仕事をこなすことができます。つまり、頼む側の多彩な意思を尊重する欧米の文化と、顧客や部下に意思の統一を求め効率的に進めようとする日本式文化の違いがここにあるのです。

 

 

おわりに

日本人には様々な才能・能力・得意分野がありますが、「柔軟性」はイマイチのようです。しかしながら一方で、マニュアルによって培われた「礼儀正しさ」の高水準を活用することによって利益を享受することもできているようです。

日本人にとって (高水準の)「サービス」は当たり前のもの (特別なものではない) かもしれません。「礼儀正しさ = 美徳」なのです。「柔軟性を持つこと」はマニュアルの中に書いてありませんが、その代わりに、日本人は礼儀の化身なのです。