日本人は人前で話すのが苦手?

 

「情」とは、人へのケアや思いを示す言葉です。日本人はビジネスなどにおいて、結果よりも努力や強い思いに対して「情」をかける傾向があります。この日本独自の文化は、欧米諸国と比べてウエットだとも言われています。歴史を振り返ってみると、能や歌舞伎などでは人の怨念や情念がとても大事にされていますし、日本の怪談話においては恨みや執着が多く取り上げられています。これに対して欧米のオカルトは、「悪魔」「怪物」「連続殺人」といった「情」の薄いものとなっています。

テレビドラマや映画の世界でも、日本の場合は「情」(愛情) の交換に多くの時間が割かれています。別れのシーンで互いに涙目で見つめ合い、BGMで盛り上げるといった手法はいかにも日本らしいと言えるでしょう。こうした「情」の発想はビジネスの世界でも見ることができます。

 

日本人は情に厚い?

営業で地方を訪問すると、「わざわざ遠いところを来られたので」と言って発注してもらうことがしばしばあります。それだけでなく、「何度も来てもらったので」とその努力が評価され、商談が成立することも少なくありません。こうした「いかに汗をかいたか」「どれだけ熱心に取り組んだか」というプロセスでの努力が、ときに結果よりも評価されてしまう日本の風習を見て、欧米の人たちは一様に驚きを隠せません。日本人は、「これだけ熱心にやるということはやる気がある証拠で、たとえ今回は失敗だとしても、この情熱には敬意を払い次の成功に期待しよう」と思うのでしょう。一方で、ドライに結果のみで人の能力を評価する欧米の人からすると、このアプローチは非合理的かつあまりにも情的なので到底理解できません。

人間関係を構築し、その上で仕事に取り組む日本人と、まずは仕事に取り組んでその過程で人間関係が構築される欧米の人とでは、仕事の進め方にも大きな違いがあります。欧米では、仕事が終わればそのチームは解散し、次に向けて去っていきます。一緒にお酒を飲んで飲みニケーションをし、「情」を交わして長く付き合っていこうとする日本人から見れば、欧米の文化はなんとも味気ないアプローチに見えてしまうのです。とはいえ、現代の日本人はこうした面も欧米化されているようです。

 

 

 

 

日本人は人前で話すのが苦手?

日本人はスピーチで、よく起承転結を用います。すなわち、最後に結論を表明するのです。「落ち」が最後にある落語のようなものですね。しかし、この論理構造がわかるのは漢字文化圏の人たちだけです。欧米文化にはこの起承転結法がありません。はじめに結論を述べ、その理由を説明し、事例を述べ、最後にまとめるという論理構成をとるのです。

そんな欧米人が日本人のスピーチを聞くと、話の流れが全く理解できず混乱してしまうのです。論旨がわからなくなった彼らは、話に割り込んで確認を求めたり、「意味がわからない」と意見するのです。すると、割り込みに慣れていない日本人はパニックになったりするのです。

 

 

 

日本人はスピーチで謝ってばかり?

日本人は英語力のなさをあまりにも気にしすぎます。英語でスピーチをする際には、最初に英語が上手でないことを詫び、「英語が苦手で緊張している」なんてことを言ったりする始末。聞いている人は、「この人は自信がないんだな」「こんな人の言うことに聞く価値はあるのだろうか」などと思ったりします。もっと自分に自信を持ちましょう!

日本では、聞き手にしっかりと伝わるように完璧な知識を持って話をしなければならないと考えます。これに対して欧米では、スピーチの内容を理解するためには聞き手の責任として積極的に行動しなければならないという意識が働くのです。話し手に責任のある日本と、聞き手に責任のある欧米。違いますね。したがって、日本人は英語ができないことを謝るのではなく、堂々と自分の言いたいことを話せばいいのです。いずれにせよ、欧米の人たちはわからなかったら進んで質問してくるのですから。

 

 

 

なぜ日本人は質問されると混乱するの?

欧米の人たちは、スピーチの最中でもどんどん質問を浴びせてきます。「人の話は最後まで聞くものだ」という考えを持つ日本人は、このあまりにも積極的な態度に戸惑ってしまいます。英語に自信がなければなおさらです。

英語が苦手な日本人の場合、「私のプレゼンは15分くらいで済むので話している間は質問を控えてください。最後に質問を受け付ける時間を設けています。」などと話の前に提示すればいいのです。会場をコントロールし質問者の対応を交通整理することも、プレゼンターの役割なのですから。