世界に誇るべき日本の歴史的建築物 ①

 

外国人の皆さんに「日本の魅力」をいまさら説明し直す必要はないでしょう。「素晴らしい景色」「美味しいグルメ」「おもてなしの心」「優しい人々」「日本独自の伝統文化」「最先端の技術」…あらゆるものが揃っています。このように多彩な魅力を併せ持つ日本。訪れる理由・目的は人それぞれです。訪日旅行者が年々増加し続けているのも納得ですね。

ここでは、「日本の建築物に魅了されている外国人も多いんだ」ということを知ってもらうべく、世界に誇るべき「日本の建築物」について簡単にまとめてみました。

 

初期の日本

人々がワイルドに台地・岩陰・洞窟などに住んでいた旧石器時代。そんな時代を経て、いよいよ (人間らしくなってきた) 縄文時代 (紀元前14000年頃~紀元前300年頃) の到来です。この時代に竪穴式住居が普及します。地域や年代によって形状は多少異なりますが、通常、地面を70~80cmほど掘った上に簡易な骨組みとして木造の土台が築かれ、その上に藁葺き屋根が敷かれています。この竪穴住居は後期旧石器時代から作られ始めたと考えられており、縄文時代に続く弥生時代 (紀元前300年頃~紀元後300年頃) 以降にも引き継がれています。

 

三内丸山遺跡 (青森県)

 

弥生時代になると狩猟だけでなく農業が主流になっていったこともあり、定住する家族が集まった「村社会」が形成されていきます。食料保存所をネズミなどの外敵から守るため、床を地面から高い位置に設ける家屋も増えていきます。こうした弥生時代の家屋や村の雰囲気を感じるためには一度吉野ヶ里遺跡 (佐賀県) や登呂遺跡 (静岡県) などを訪れてみるといいでしょう。

 

吉野ヶ里遺跡

 

奈良時代 (710〜794年)や平安時代 (794〜1185年)になると、建築物を含めた様々な文化が中国からの影響を強く受けるようになります。これに加えて、日本独自の文化や技術が洗練されていくのです。

 

 

 

 

神社

伏見稲荷大社 (京都)

 

神道は古代日本 (縄文時代) に起源を辿ることのできる宗教で、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき自然に生じた神観念と考えられています。伝統的な民族信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による政治と関連しながら徐々に進展していきます。神道に教祖や創始者はおらず、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのような「正典」も存在していません。「古事記」「日本書紀」といった古典群が神道の「聖典」とされています。

「森羅万象に神が宿る」と考え、先祖の霊魂をまつり、祭祀を重視しています。こうして神道は奈良時代以降、長きにわたって仏教信仰と混淆し、一つの宗教体系として再構成されていったのです (神仏習合)。ちなみに神仏習合とは、日本土着の神祇信仰 (神道) と中国から入ってきた仏教信仰が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現象をいいます。

 

伊勢神宮 (三重県)

伊勢神宮の歴史は「古事記」「日本書紀」にある第十一代垂仁天皇の時代までさかのぼります。

 

出雲大社 (島根県)

出雲大社も、その創建については「古事記」「日本書紀」の時代にまで遡ります。

 


 

【神道と仏教の違いについて】

神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体 (部族や村など) を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきた…という点で大きく異なります。いずれにせよ、多くの神社は神道に基づく建築物として建てられていったのです。神道は多神教で祖霊崇拝性が強く、明治天皇の採決によって勝利した伊勢派では (皇室の氏神である) 天照大神が最高の神格を獲得し、敗北した出雲派ではいまだに地域ごとの氏神信仰が行われています。

 

住吉大社 (大阪)

住吉大社は全国の住吉神社の総本社で、日本を代表する神社の一つです。

 


 

日本人の7割ほどが無宗教と言われていますが、一方で、神道には1億人以上の支持者がいるとも言われています (神社数はおよそ85,000)。

 

春日大社 (奈良県)

中臣氏 (藤原氏) の氏神を祀るために768年に創設された神社で、全国に約1,000社ある春日神社の総本社です。

 

宇佐神宮 (大分県)

宇佐神宮は全国に約44,000社ある八幡宮の総本社で、日本三代八幡宮の一つと言われています (創建は725年)。

 


 

やがて、時代が江戸時代 (1603〜1868年) に向かっていくにつれ、華麗で壮観なものも造られていくようになります。

 

日光東照宮 (栃木県)

 

ここには、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現が祀られています。日本全国の東照宮の総本社的存在です。その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、鎌倉時代 (1185〜1333年) 以降、東国の宗教的権威となっていきます。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられています。

 


 

厳島神社 (広島県) は全国に約500社ある厳島神社の総本社で、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。「安芸の宮島」として日本三景の一つに数えられており、平家からの厚い信仰で知られています。そのため、平清盛によって大規模な社殿が整えられました。創建は推古天皇元年 (593年)。有力豪族・佐伯鞍職が神託を受け、勅許を得て創建したことに始まるとされています。ちなみに厳島には「神に仕える島」という意味があり、古代から島そのものが神として信仰されてきたと考えられています。

 

厳島神社 (広島県)

 

 

 

 

お寺

お寺 (寺院) は6世紀に、中国大陸から仏教とともにやって来ました (中国の影響を強く受けている建築方式を持つお寺は奈良県に多く残っています)。各地にひっそりと佇む寺院は檀家と呼ばれる信者を抱え、墓地を保有・管理しているケースがほとんどです。特に小規模な寺院は (神社と異なり) 檀家以外には門を閉ざしている場合が一般的です。これは他国には見られない日本独自の形態であり、神道に「死を忌み嫌う」という観念があることから一種の棲み分けが進んだ結果とされています。

このことは葬式仏教という言葉によく表れています。ちなみに葬式仏教とは、本来の仏教の在り方からは大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現です。ともあれ、近畿地方 (大阪・奈良・京都など) にある著名な寺院は信仰や観光の対象として広範囲に参拝客を集めています。日本仏教の祖とされる聖徳太子は593年に四天王寺 (大阪) 、607年に法隆寺 (奈良県) を創建しました。

 

法隆寺 (奈良県)

 

法隆寺は古代寺院の姿を今に伝えるお寺で、現存する世界最古の木造建築物群です。建造物以外にも飛鳥・奈良時代の仏像や仏教工芸品など多数の文化財を有しており、世界遺産に登録されています。

同じく6世紀末〜8世紀に建てられた飛鳥寺 (奈良県)、興福寺 (奈良県)、薬師寺 (奈良県)、東大寺 (奈良県) なども有名です。

 

東大寺 (創建は8世紀前半)

 


 

浅草寺 (東京) の創建は推古天皇の時代である628年とされています。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多くの参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っています。

 

 


 

清水寺 (778年に創建) は平安京遷都以前からの歴史を持つ重要な仏教寺で、鹿苑寺 (金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内で有数の観光地の一つです。季節を問わず、多くの参詣者・観光客が訪れています。もちろんこれも世界遺産「古都京都の文化財」の一つです。

 

清水寺 (京都)

 


 

中尊寺金色堂 (岩手県) は平安時代後期建立の仏堂で、奥州藤原氏が1124年に建立しました。平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表作の一つとされています。

 

 


 

三十三間堂 (京都) は後白河上皇が平清盛に命じて1165年に完成したと言われています (建物の正式名称は蓮華王院本堂)。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院でしたが、1249年に火災で焼失。1266年に本堂のみが再建されています。現在三十三間堂と称されている堂がそれです。

 

「33」は観音に縁のある数字で、俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」と言われています。これは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからです。

 

 


 

金閣寺 (京都) の正式名称は鹿苑寺。舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に金閣寺と呼ばれています。鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘を室町幕府3代将軍・足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています (創建は1397年)。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したものと言われており、義満の死後、彼の遺言によってお寺となりました。正式寺名は義満の法号・鹿苑院殿にちなんでいます。金メッキが施されており、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されています。

 

金閣寺 (正式名称は鹿苑寺)

 

寺院も、神社建築同様その多くは日本古来の木造建築です。しかし現代では建築基準法や消防法の規定上、ある一定の規模を超える建物は鉄筋コンクリートとすることが義務化されており、昔のように大きな建物を木造とすることができなくなってきています。

近頃は、ビル形式の寺院や近代的モダン寺院も出現するなど概観のデザインが多様化しており、一目で仏教寺院と認識できないものも少なくありません。また、寺院の伽藍配置や建物の用途、名称は神社のように統一されてはおらず、宗派や各時代によって異なります。

 

 

 

 

宮殿

日本では宮殿のことを一般的に「御所」と呼んでいます。大昔、「御所」らしきものは新しい天皇が即位するたびに新しい場所に作られていました。その後、奈良時代の平城京 (710年・奈良県) が成立。さらに平安京 (794年・京都) に遷都されます。この平安京は現在の京都御所から1.7kmほど離れた場所にありました (現在の京都御所は平安京の一部だった場所にある)。

 

皇居 (江戸城跡地一帯)

 

皇居は天皇の居所で、現在は東京都千代田区にあります。平安時代 (794年〜) から明治2年 (1869年) までは京都にありました。

 

京都御所 

 

ちなみに京都御所は1331〜1869年の間、歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行ってきた場所です。現在は宮内庁京都事務所が管理しています。 

明治以降の皇居は江戸時代末期まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡にあります。

 

皇居 (東京)

 

令和の時代 (2019年〜)となった今、歴史を深く調べた上で出かけてみると、また違った感想が芽生えるかもしれませんね。