「愚妻」「愚息」と家族を謙遜して紹介する変な日本人

 

和を尊ぶ日本人が最も大切にしている価値観の一つに「謙遜」「謙虚」があります。これは、自分のことを常に低い位置におき、相手にへりくだってコミュニケーションをする考え方のことです。

海外の部長クラスの人が、日本人社員を採用しようと思って面接をする時戸惑うことがあります。「あなたはこの会社でどのようなことをしたいと思っていますか?」と問うと、多くの日本人が「なんでもやります。積極的に取り組みたいと思います。」と答えたりするからです。

 

具体的に自らの強いところをアピールすることを期待している外国人からみれば、こう答えられると戸惑ってしまい、「だから何ができるんだよ」ということになります。

謙虚に、会社に対して「何でも学びます」という姿勢を大事にする日本人。これでは、お互いに噛み合うことなく面接が終わってしまいますね。

 

このように、へりくだることを美徳とする日本人的考え方をもって自らの力量を文化の異なる外国人にわかってもらおうとすると、思わぬ落とし穴があるのです。

 

 

 

海外での「へりくだり」は100%損します


 

「何でもやります」…ということよりまずいのは、「私はまだまだ未熟ですから」とか「何もわかりませんので」という表現で謙遜する場合です。

採用面接などで欧米人にこうした表現で接すると、謙遜しているとは思われず、言っている言葉を額面通りに受け取られてしまいます。

 

「ふむ」「仕事ができないならわざわざ面接を受けに来るなよ。時間の無駄じゃないか。」と誤解され疎まれるのです。

こうした事例は案外多く起こっているんですよ。日本人の表情やジェスチャーは外国人の目から見れば曖昧で、何か躊躇しているように見えるわけですから、それに加えてへりくだったことを言えば海外では逆効果なのです。

 

日本には、「能ある鷹は爪を隠す」という諺があります。しかし、異文化環境では、時に自らの鋭い爪をしっかりと見せた方がいいのではないでしょうか。

 

 

 

妻を「愚妻」と紹介する日本人


 

謙遜の表現として最も典型的なのが、家族を他の人に紹介する場合です。どんなに自分の子供や配偶者を「素晴らしい」と思っていても、多くの日本人はそれを誰かに直接伝えたりしませんし、相手 (聞き手) もそれを期待してはいません。

自らの子供を紹介するときなどは「この子はまだ何もわからずお恥ずかしい限りで」「愚息なのですが…」などと謙遜します。時に自分の愛妻を「愚妻です」と言って謙遜することも。

 

この「思い」と「言葉」が一致しないのが謙遜のメカニズムなのです。欧米の人は到底理解できません。「愚妻」などと聞かされると、「何てひどいことを」「奥さんがかわいそう」…という印象を相手に与え兼ねません。

つまり、相手に思いをそのまま伝えることをよしとする文化と、状況に応じて表現を変えるマナーを大切にする日本人との意識のギャップがここに見て取れるわけなんですね。

 

 

 

ネルソン・マンデラの名言

 

🔴    「あなたが遠慮しても世界の役には立たない。周りの人が気後れしないようにとあなたが身を縮めることは何の美徳でもないのです」

Your playing small does not serve the world. There’s nothing enlightened about shrinking so that other people won’t feel insecure around you.

(ネルソン・マンデラ)

 

 

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作家のサミュエル・マイルズさんは、

真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価することであり、長所をすべて否定することではない。

と言っています。

 

「謙虚」や「遠慮」といった日本人にとっての美徳は、国際社会ではけっして美徳ではないのです。

一方で、謙虚な人というのは「思慮深く控えめで、他人の意見を素直に受け入れられる人」のこと。日本人らしい心遣い慎ましさ、、、日本人にとって「謙虚」は自然と人を惹きつける魅力にもなります。

 

実際、「謙虚」という言葉を多くの人は誤解しています。謙虚というのは自分を卑下することとは違います

つまり、「良いと思うこと」は積極的に表に出して、「どうかなぁ」と思うことでは出しゃばらない。このバランス感覚こそが大事なのではないでしょうか。