日本独自の美徳文化「謙虚」の功罪について

 

「あうんの呼吸」とは (サザエさんのフネさんのように) 「全てを説明しなくても雰囲気などから相手のニーズや考えを察知することができる能力のこと」を言います。つまり、「言葉をはっきり交わさなくても気持ちが通じ合っている」…ということなんです。

ジェスチャーや簡単な言葉のやりとり。。。こうしたものだけで、だいたいのコミュニケーションが完了してしまうのが日本社会の特徴とも言えるでしょう。日本人同士でこれが機能しないとき、「お前は空気が読めないやつだな」などと言って、相手の鈍感さを批判したりします。

けれどもこの「空気」は、海外の方にはうまく伝わりません。特にアメリカなどでは、思うことをはっきりと説明して初めて意思の疎通が可能となるのです。このように、「あうんの呼吸」が求められる日本と、明快な言葉で説明を求める国とでは様々な誤解が生じやすいのです。

 

自分の欲求を遠回しに伝える日本人

日本には、自分の欲求を相手に婉曲に伝える…という文化があります。これは日本人ならではのコミュニケーション・スタイルの一つで、例えば、部屋が暑い際、そう感じた人は周りの人に「暑くありませんか?」と尋ねます。すると聞かれた方は相手のニーズを察知して「そうですね。エアコンでも入れましょうね。」となるわけです。

 

 

また、「お腹すいてない?」と問いかける場合においては、問いかけた本人が空腹のことが多々あるのですが…外国人の多くはこの問いかけに対して自分の状況で答え、「別に。お腹空いてないよ。」などと言ってしまいがちです。

こう言われた日本人は、「あっ、そう。」とちょっとがっかり。日本人と外国人の誤解のメカニズムがここにもあるのです。

 

 

 

遠慮 (ためらい)

遠慮とは、自分のニーズをあえて表明せず、控えめに対応することを意味します。日本では、「遠慮」は社会で人とうまくコミュニケーションしていくための一般常識で、「謙遜」や「謙虚」の概念と共通したものがあります。

例えば日本人は、人の話に土足で立ち入るような行為を忌み嫌います。「人の話の腰を折る」「話に割り込む」のはもってのほかで、話の途中、意見を差し挟むことやわからないことをチェックしたりする行為をあまりしません。これには遠慮の意識が働いているのです。

 

 

以上のような理由で、日本人はわからないことがあっても相手の言うことに相槌を打ち続ける文化を持っているのですが…英語社会ではそうではありません。

彼らはわからないことがあればすぐに確認します。会話の後になって、「実は話を理解していなかった」となれば、「じゃあなぜその時に質問してくれなかったんだ」となってしまうのです

 

 

 

自己犠牲をやめられない日本人

欧米の人は、「ビジネスは生活の一部であって、全てではない」と考えています。日本でも、近頃の若い世代の人たちは同じように考えているようです。しかしながら、多くの日本人は今でも、夜遅くまで残業をしています。

外資系の企業では、日本人は残業しているのに欧米の人はさっさと帰ってしまう…という光景をよく見かけます。休暇も、(日本人からみると) 欧米の人は仲間のニーズも考えずさっさと自己都合のみで取ってしまいます。

 

 

このように、プライベートをビジネスと同じように優先する欧米の人と、個を犠牲にしてビジネスを優先する日本人との間にある意識の差は、まだまだ大きいようです。

とはいえ、本音を言えば日本人も欧米人と同じように「早く帰って家族や友人と楽しく過ごしたい」と思っているのです。そんな日本人の心を押しとどめているのが、同僚や上司たちのことを考え自分の思いを抑制する「遠慮」という意識なのです。

 

 

 

おわりに

最後に、かわいそうな日本人留学生の実話をここに記しておきましょう。

Aさん (20代男性) はアメリカに留学し、アメリカ人家族のお宅にホームステイしていました。「冷蔵庫は自由に開けていいからね。中の物は勝手に飲んで。」とホストに言われていたのですが、、、

 

遠慮してそれができず、悲惨な日々を送り続けていたのです。かなり気を遣いすぎていたわけですね。皆さんはこの話を聞いてどう思いますか?なんとなくわかる部分もあるのではないでしょうか?

「相手の立場になって物事を考える」「利他の心を持つ」「気を遣う」行為はとっても素晴らしいものなのですが、郷に入っては郷に従えです。無駄なストレスを抱え込んでしまうと、それこそ病気になってしまいますよ。臨機応変にやっていきましょうね!