第二次世界大戦が終わったあと、日本はひどく荒廃しました。京都を除く全ての都会の産業と交通網はかなりのダメージを受け、深刻な食糧不足は数年間も続いたのです。
戦後、連合国による日本の占領は1945年8月から1952年4月まで続きます。これは主にアメリカによって実行されました。
日本は1894年以降に得た全ての領土を失い、加えて、北方領土はソビエト連邦に、琉球(沖縄)はアメリカによって支配されることとなったのです。
(その後沖縄は1972年に返還されますが、北方領土は今もロシアに支配され続けています)
日本に残っていた軍事力は取り潰され、戦争犯罪裁判が実施されます。ちなみに、日本が降伏した直後500人以上の将校たちは自殺し、一方で昭和天皇は戦犯とはされませんでした。
その後、1947年に日本国憲法が施行され、1954年に自衛隊が設立されました。(ソビエトとの国交正常化は1956年、中国との国交正常化は1972年)。
象徴としての天皇
2019年、天皇が「生前退位」されるということであらためて「天皇が日本国の象徴」であるということの意味が議論の的になっています。
もともと「象徴」という言葉は、鳩が平和の象徴であるという場合のように、形のない抽象的な概念を何か形のあるものに託して表そうというときに用いられる言葉です。
したがって、憲法で天皇を「象徴」と定めても、だから天皇はこうあるべきだ、というような規範的 (法的) な意味がそこから直ちに導かれるわけではありません。
要するに、「国事行為」を行う天皇が「象徴」なのであって、それ以外に天皇が「象徴」としてなすべき行為はないのです。この「象徴」としての立場は、戦後、昭和天皇が「私は神ではない。象徴にすぎない。」と述べたことから始まっています。
日本国憲法について
日本国憲法は1947年5月3日に施行されました。1945年8月15日にポツダム宣言を受託して連合国に降伏した日本政府は、そこで要求された「日本軍の無条件降伏」「民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」…などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うこととなったのです。
連合国軍最高司令官総司令部の監督の下、紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条のの憲法改正手続に従って改正され、「日本国憲法」が誕生したのです。
この時、国民主権の原則に基づいて象徴天皇制が定められ、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重が掲げられ、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」という平和主義が定められます。
施行されてから一度も改正されていません (2018年現在)。これからも、時の権力者によって改憲されることなく、「平和」の礎として存続し続けていってもらいたいものです。
中韓の執拗な反日感情の原因は?
敗戦により日本はアメリカ軍 (連合国軍) によって占領されますが、その後、深刻な食糧不足の時代を勤勉に乗り越えて驚異的な経済成長を遂げます。
戦争で迷惑をかけた国々に対しては懸命に謝罪し、賠償金を支払い、それらの国々に対してはインフラ整備などのため積極的に援助金を出していきますが、残念ながら隣国の中国と韓国だけは、いつまで経っても反日の声を鎮めることはありません。
この2カ国の反日が他の国より圧倒的に強い背景には、中華思想 (中国) と小中華思想 (韓国) があります。これは、簡単にいうと「日本は格下で劣った存在であるべきはずだ」とする考え方です。
つまり、自分たちよりも下であるべき日本が、なぜか経済発展し世界的に人気がある、という現実を受け入れがたく、このことに対する強烈な不満が「反日」感情に繋がっているわけです。
さらに、自国民の不満を他にそらすための政治的手段としても「反日」が利用され続けているので、これではいつまでたってもなくなることはなさそうです。
「親日国」まとめ
中国と韓国に嫌われ続けていることを悲しんでばかりもいられません。最後は、私たちを好意的にみてくれている国々をみていきましょう。世界には、日本人が思っている以上に親日の人々がたくさんいます。
資金提供、技術提供、国際貢献、アニメ、和食、素晴らしい製品、マナーが良い、有色人種に希望を与えた国、大和撫子。。。
親日になってくれる理由は様々でしょうが、本当にありがたいことです ↓
台湾、モンゴル、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ブータン、ネパール、インド、スリランカ、パキスタン、バングラディシュ、ウズベキスタン、イラン、メキシコ、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、パラオ、マケドニア、トルコ、ポーランド、ハンガリー、フィンランド、ベルギー、イタリア、アイルランド、エジプト、カナダ…
いつまでも仲良くあり続けましょう!
ありがとう!